2019/11/6
【よみもの】ピーナッツカレーが誕生するまで。(後編)(2019/11/6)
五島列島・小値賀島の特産ピーナッツを使ったカレーブック『ピーナッツカレー』。発案者の溝端裕子さんから『ピーナッツカレー』が誕生するまでのお話を伺いました。後編です。
-長年の想い、広島・尾道で叶う。
自由大学に通っていたもえちゃん(前編に出てきたネドコロノラのオーナー)が、「週末に尾道自由大学でバラッツさんのスパイス講座あるよ〜」と教えてくれ、その答えを聞いた私は、すぐさま尾道行きのチケットを確保!
週末には尾道へと向かいました。
話は少し遡りますが、実は私大学生の頃まともに就活をしませんでした。当時「良い会社に就職しなさい」と言われても将来が全く想像出来ず、ただただ遊びに明け暮れていました。
しかしながらアナン株式会社だけには恋心を抱いており、勇気を出して求人を募集しておられるか問い合わせてみたのですが、あっけなく撃沈。
求人は募集しておらず・・・。
でもアナンスパイスを見るといつも冷めぬ恋心が疼き、いつか働かれている方にお会いしてみたいなぁと思っていたのでありました。
そして、遂に広島の尾道で憧れだった生のメタ・バラッツさんにお会いできることに。
「この方が!」
今でもあの時の感動は忘れもしません。
そして2日間の講義の中で、ユーモアに溢れキラキラ輝くメタ・バラッツ氏に魅了され、やはりこの方にご協力をお願いしようと心に決めたのでした。
- 溝端裕子さん
-バラッツ氏の熱い想い
尾道自由大学の講座が終わった数日後、私は改めてバラッツさんに連絡し商品開発に協力してもらえるかお伺いをしました。
答えは「もちろんYES!!」
バラッツさんから暖かくて力強いご回答を頂き、2年間どうすれば・・・と感じていたモヤモヤが一気に晴れた瞬間でした。
そこからは商品を作るのにまっしぐら。
その約半年後、世の中に「小値賀島ピーナッツカレー」が誕生しました。
いくつもの運命と偶然とたくさんの人の愛が折り重なって出来た愛しい商品です。
パッケージデザインはバラッツさんのご友人である山崎杉夫さんが手がけて下さいました。
山崎さんの作品はこのピーナッツカレーの背景にある”手仕事”を表現してくださるような柔らかい切り絵調の絵が特徴的で、本当に素敵です。
-1年後には2000食超。
ピーナッツカレーが出来てから約1年が経った頃には、バラッツさんを始め色んな方々からピーナッツカレーをご提供させていただける機会を頂き、2000人超の皆様にカレーを召し上がって頂きました。
スパイスの本場であるインドやヨーロッパのベルリン、スイス、北アフリカのモロッコでも何人かに食べてもらいました。
この1年はピーナッツカレーを通して本当にたくさんの方に小値賀島の素晴らしさを伝えることが出来た非常に充実した日々でした。
同時に全国各地で色んな方々にお会いすることが出来、色んなご縁が繋がって広がった1年。
今年は2年目。
小値賀島ピーナッツカレーも溝端も更に成長していきたいと思いますので、皆様
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
鎌倉・まちの社員食堂で、ピーナッツカレーが歴代No.1へ
(編集後記/Web担当・町田)
先日ご案内した、鎌倉「まちの社員食堂」でピーナッツカレーが食べられる期間限定営業。
最終日の11/1に、一日あたりで提供食数の記録を更新し、歴代No.1となりました!
まちの社員食堂では、鎌倉で働く人たちに喜んでもらうため、週ごとに食べ物を提供するお店やシェフが変わる仕組みになっています。
地元のお店をはじめたくさんの人気店が担当される中、遠く五島列島・小値賀島からやってきた溝端さん(以下、ミゾちゃん)が今回新たな記録を打ち出せたことは、本当にすごいことなのです。
記録を更新した夜、たくさんのお祝いの声がミゾちゃんを囲みました。自分ごとのように喜んでくださる方もいました。
ピーナッツカレーが誕生してから1年半という短かい期間で、ピーナッツカレーやミゾちゃんがいかに多くの人に愛され、応援される存在になっているかがわかる1日でした。
「ピーナッツカレーをきっかけに、小値賀島へ来てもらえたら嬉しい」と笑顔で話すミゾちゃん。
その人柄やピーナッツカレーの美味しさ、地域を思う気持ちが伝わって、ミゾちゃんをきっかけに小値賀島へ興味を持ち、実際に旅に行く人も増えています。
ミゾちゃんがピーナッツカレーと旅した話や、小値賀島での暮らしも気になるところ。
今後もお話を伺っていけたらと思います。
文章を書いてくださったミゾちゃん、最後までお読みくださった方々、ありがとうございます。
●五島列島・小値賀島について
http://ojikajima.jp/
●ピーナッツカレーの内容・購入はこちら
https://internetofspice.com/product/4262/